「江戸百景」(歌川広重)にも神田周辺が描かれていたことをご存知でしょうか?
現在のどの場所なのかを、探してみるのもいいかもしれません。
ここでちょっとお勉強しましょう!
“歌川広重ってどんな人?”
◆広重は寛政九年(1797年)、江戸八代洲河岸(八重洲河岸)の火消同心の安藤家に生まれます。幼名は徳太郎、大きくなると重右衛門と名乗っていました。13歳で両親を失い、初代歌川豊国に弟子入りを申し込んだが門弟が多くかないませんでした。そこで15歳で浮世絵師歌川豊広に入門。翌年、師豊広より広の一字を受け広重と名乗りました。(安藤広重と紹介されていることもあるりましすが、画人としては歌川広重)その後、27歳で火消同心の役職を退くまで画業と公務の両立を果たしていたそうです。
天保二年、葛飾北斎(72才)が「富嶽三十六景」を発刊した時と同じ頃、36歳の秋に幕府の御馬献上の一行に参加して上洛、東海道を往復する際、印象を写生しました。
それが、保永堂版「東海道五十三次」五十五枚です。
このシリーズの爆発的な売れ行きによって、広重は浮世絵界に不動の地位を手に入れることとなりました。江戸を描いた作品が数多く、その総数は千三百点に及ぶともいわれます。
「近江八景」「京都名所之内」「江戸近郊八景」、溪斎英泉との共著「木曽海道六十九次」を次々と発表。晩年60才で制作を開始した「名所江戸百景」を完成させた。しかし、安政5年、当時、大流行のコレラで62才で永眠したと伝えられています。
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